子供の頃、とりわけ小学生時代の話。
放課後学校から帰ったら、せいぜい2時か3時である。
だいたい小学生というのは5時まで遊べる、という認識でいいと思うので
実質放課後に友だちと遊べる時間は2、3時間。
ということにこの間気がついた。
そして驚愕し、ひどく感傷的になった。
「あの長い時間がたったの2,3時間だって!?」
あの頃の私は2、3時間を非常に充実して過ごしていた。
なんと内容の濃い2、3時間だったのだろう。
今では想像がつかない。
そう、あの頃の私は「永遠」を生きていたのだ。
永遠に時間があるように思えた。
時間の流れを感じなかった。
そんな気がしていた。
楽しい時間は早く過ぎるという。
本当にそうだろうか。
あの2、3時間は間違いなく楽しかったに違いない。
しかし、(今考えると)果てしなく長かったように思える。
少なくとも「もう1時間経ったのか」という感覚はあまり持たなかった気がする。
みなさんは何故1年を早く感じるかご存知だろうか。
人間は日々老化しており、脳の処理能力もそれに伴い低下する。
すると去年処理できていた1年分のタスクを、今年はすべて処理できなくなってしまう。
去年の自分が1年でやっていたこと、つまり日々の消化が今年は1年以上かかってしまう。
この処理能力の低下に自分では気づいていないから
1年が早く感じると、いうわけだ。
さて、本題に戻るが
現在の私の2時から5時といえば
何もしないまま終わることのほうが多いかもしれない
そんな虚無な時間を過ごしていたら
ふと、年をとるのが怖くなった。
年をとるということは、時間的に損をするということなのかもしれない。
前にも述べたが、時間の流れは一定でない。
「各人に平等に与えられる」 と言われる時間。
しかし本当にそうだろうか?
時計では計れない「時間」を私たちは生きているのである。
放課後学校から帰ったら、せいぜい2時か3時である。
だいたい小学生というのは5時まで遊べる、という認識でいいと思うので
実質放課後に友だちと遊べる時間は2、3時間。
ということにこの間気がついた。
そして驚愕し、ひどく感傷的になった。
「あの長い時間がたったの2,3時間だって!?」
あの頃の私は2、3時間を非常に充実して過ごしていた。
なんと内容の濃い2、3時間だったのだろう。
今では想像がつかない。
そう、あの頃の私は「永遠」を生きていたのだ。
永遠に時間があるように思えた。
時間の流れを感じなかった。
そんな気がしていた。
楽しい時間は早く過ぎるという。
本当にそうだろうか。
あの2、3時間は間違いなく楽しかったに違いない。
しかし、(今考えると)果てしなく長かったように思える。
少なくとも「もう1時間経ったのか」という感覚はあまり持たなかった気がする。
みなさんは何故1年を早く感じるかご存知だろうか。
人間は日々老化しており、脳の処理能力もそれに伴い低下する。
すると去年処理できていた1年分のタスクを、今年はすべて処理できなくなってしまう。
去年の自分が1年でやっていたこと、つまり日々の消化が今年は1年以上かかってしまう。
この処理能力の低下に自分では気づいていないから
1年が早く感じると、いうわけだ。
さて、本題に戻るが
現在の私の2時から5時といえば
何もしないまま終わることのほうが多いかもしれない
そんな虚無な時間を過ごしていたら
ふと、年をとるのが怖くなった。
年をとるということは、時間的に損をするということなのかもしれない。
前にも述べたが、時間の流れは一定でない。
「各人に平等に与えられる」 と言われる時間。
しかし本当にそうだろうか?
時計では計れない「時間」を私たちは生きているのである。