私は日本語話者であることに誇りを持っている。
こんなに素晴らしい言語は他にあるのだろうか。
というコンセプトのもとに、主に日本語と英語を比較しながら
話をしてみようと思う。
まずは、基本的なところから。
日本語の発音というのはとてもはっきりしている。
あいまいな母音や、フランス語に見られるような喉の音(これはたんを吐くときの音と同じだとか)
がなく、非常に明朗に発音することができます。
しかし、これはあくまで表面的なところであって、日本語に内在する美しさは
日本人の完成とともに発達してきたといえるでしょう。
あなたは日本語で暴言を吐いてください、と言われた場合思いつく言葉なんですか?
多くの方は、馬鹿であるとか、阿呆であるとか、そういったたぐいの言葉を思いつくと思います。
しかし、英語圏の人は、我々が想像もつかないほど多くの暴言ボキャブラリーを持っています。
もちろん日本語にも差別的であったり、侮蔑的であるなど
ひどい言葉はたくさん存在しますが、
それが日常的なスラング、口語表現として用いられることは殆ど無いと思います。
また、気のしれた友人同士であっても、そのような言葉を用いて会話するということも殆ど無いと思いますし
ことば自体をそもそも知らないという人も多いはずです。
英語で書かれた小説などを読むと、それがよくわかります。
もとの意味が薄れたとしても、それらが放送禁止用語であることは確かであります。
それでは逆に日本語の強みとは何でしょうか。
それは、冒頭でも述べたとおり、日本人の感性と関係のあることばです。
日本には短歌や俳句といった文化があり、気象・色・比喩表現などには秀でたものがある
と、私は考えています。
五月雨をあつめて早し最上川 芭蕉
果たして「五月雨」という語を英単語一語で表すことはできるでしょうか?
cf. 五月雨:early summer rain (新和英中辞典 研究社)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8
Wikipediaの雨のページを引用しますと、雨だけでも実に様々な表現があることがわかります。
日本語には、このように周囲の環境に敏感な日本人的な感性が内在しているのです。
さらに、同様のことが色についても言えます。
日本語の色の表現は実に多彩であり、これもまた、自然と関わりの深い分野であると言えます。
それに言及している稚拙な記事 http://roadmovie.ldblog.jp/search?q=%E8%89%B2
日本は4つの美しい季節を持っています。
それが日本人の感性に少なからず影響を与えたのではないでしょうか。
比喩表現を見てみましょう。
たとえば、ヒットしている洋楽の歌詞などを見てみますと
たいていは辞書があればその意味が理解できる物が多いです。
それに対して、日本語の歌詞は単純な内容の歌詞であっても
言葉遊びが巧みであったり、不思議な言い回しをしていたり、新しい言葉を作っていたり
というものが多くあります。
それらは、私達日本語を母語とする者達にとっても理解が難しいということも多々あります。
サザンオールスターズやスピッツは面白い歌詞がたくさんあるように思います。
ことばあそびというのは、和歌において掛詞などが発達したということ
また、漢詩において韻を踏むということに触れたこと
また、5・7・5といった五七調、七五調のリズム感
そのようなものが根底にあると思います。
また、なんでもはっきり言う欧米文化に比べ
日本ではことばをぼかし、なるべくあいまいに表現することが美徳とされてきました。
そのような文化が、結果として、上質な比喩表現をうんだのではないでしょうか。
結果として、日本人が求めているのは確たる結果ではなく
「なんとなく雰囲気」ではないでしょうか。
夏の終わりの切なさ。
雨の音に耳を傾けながら物思いに耽る。
いつかは死にゆく命の儚さ。
そんな「なんとなく雰囲気」を味わう文化。
それが、まさに、日本の文化だといえるでしょう。
つまり、これが、確たる結果というわけです。
こんなに素晴らしい言語は他にあるのだろうか。
というコンセプトのもとに、主に日本語と英語を比較しながら
話をしてみようと思う。
まずは、基本的なところから。
日本語の発音というのはとてもはっきりしている。
あいまいな母音や、フランス語に見られるような喉の音(これはたんを吐くときの音と同じだとか)
がなく、非常に明朗に発音することができます。
しかし、これはあくまで表面的なところであって、日本語に内在する美しさは
日本人の完成とともに発達してきたといえるでしょう。
あなたは日本語で暴言を吐いてください、と言われた場合思いつく言葉なんですか?
多くの方は、馬鹿であるとか、阿呆であるとか、そういったたぐいの言葉を思いつくと思います。
しかし、英語圏の人は、我々が想像もつかないほど多くの暴言ボキャブラリーを持っています。
もちろん日本語にも差別的であったり、侮蔑的であるなど
ひどい言葉はたくさん存在しますが、
それが日常的なスラング、口語表現として用いられることは殆ど無いと思います。
また、気のしれた友人同士であっても、そのような言葉を用いて会話するということも殆ど無いと思いますし
ことば自体をそもそも知らないという人も多いはずです。
英語で書かれた小説などを読むと、それがよくわかります。
もとの意味が薄れたとしても、それらが放送禁止用語であることは確かであります。
それでは逆に日本語の強みとは何でしょうか。
それは、冒頭でも述べたとおり、日本人の感性と関係のあることばです。
日本には短歌や俳句といった文化があり、気象・色・比喩表現などには秀でたものがある
と、私は考えています。
五月雨をあつめて早し最上川 芭蕉
果たして「五月雨」という語を英単語一語で表すことはできるでしょうか?
cf. 五月雨:early summer rain (新和英中辞典 研究社)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8
Wikipediaの雨のページを引用しますと、雨だけでも実に様々な表現があることがわかります。
日本語には、このように周囲の環境に敏感な日本人的な感性が内在しているのです。
さらに、同様のことが色についても言えます。
日本語の色の表現は実に多彩であり、これもまた、自然と関わりの深い分野であると言えます。
それに言及している稚拙な記事 http://roadmovie.ldblog.jp/search?q=%E8%89%B2
日本は4つの美しい季節を持っています。
それが日本人の感性に少なからず影響を与えたのではないでしょうか。
比喩表現を見てみましょう。
たとえば、ヒットしている洋楽の歌詞などを見てみますと
たいていは辞書があればその意味が理解できる物が多いです。
それに対して、日本語の歌詞は単純な内容の歌詞であっても
言葉遊びが巧みであったり、不思議な言い回しをしていたり、新しい言葉を作っていたり
というものが多くあります。
それらは、私達日本語を母語とする者達にとっても理解が難しいということも多々あります。
サザンオールスターズやスピッツは面白い歌詞がたくさんあるように思います。
ことばあそびというのは、和歌において掛詞などが発達したということ
また、漢詩において韻を踏むということに触れたこと
また、5・7・5といった五七調、七五調のリズム感
そのようなものが根底にあると思います。
また、なんでもはっきり言う欧米文化に比べ
日本ではことばをぼかし、なるべくあいまいに表現することが美徳とされてきました。
そのような文化が、結果として、上質な比喩表現をうんだのではないでしょうか。
結果として、日本人が求めているのは確たる結果ではなく
「なんとなく雰囲気」ではないでしょうか。
夏の終わりの切なさ。
雨の音に耳を傾けながら物思いに耽る。
いつかは死にゆく命の儚さ。
そんな「なんとなく雰囲気」を味わう文化。
それが、まさに、日本の文化だといえるでしょう。
つまり、これが、確たる結果というわけです。