Road Movie

日々の出来事、思うこと。

2014年08月

今夜きみが怖い夢を見ませんように / HAPPY BIRTHDAY

ガールズバンドの HAPPY BIRTHDAY は、無期限活動停止へ。


何だ?呪いなのか?

YUIもGARNET CROWも俺が聴いてたらやめちゃうやつなんですけど?


というのはまた別の機会においておいて

HAPPY BIRTHDAYのセカンドアルバム『今夜きみが怖い夢を見ませんように』のレビューをします。 


去年、私が最も注目するアーティストに選ばれたHAPPY BIRTHDAYですが

このアルバム、なかなかいいです。

キャッチコピーをつけるとしたら

「女のコは、キュートでリアル」

といったところでしょうか(苦笑)


女の子の本音を歌う「という」歌詞は

現代の若い世代の女子の共感を多く得ている「そうです」

その歌詞は、あまりにもリアル、リアルで怖いくらい。

この歌詞が共感を得ているということは、女子はみんなこんな風に考えっていることで・・・

こわい。


こわい。


ポップな曲調の裏に隠れた「ホンネ」もなかな聞いていて面白いです。

以下は曲ごとの簡単な感想


1. 恋暴動
シングル曲。こわい。
あまったるく歌っているようで、終盤でガラッと歌い方が変わるところが面白い。
私がHAPPY BIRTHDAYが好きになるキッカケの曲。
カーラジオは偉大。

2. イチャイチャチュッチュキャピキャピラブラブスリスリドキドキ
シングル曲。長いタイトルで面白い。
煮え切らない彼への甘くトゲのある思い。こわい。
PVも制作されており、YouTubeで視聴可能。

3. わたしは君のママじゃない
と言いつつ自分もバカだったことを認めている。
恋は盲目かもしれないが、ふと現実に戻る瞬間があるのかもしれない。
こわい。

4. 君だったら
バラード曲。
新しい彼ができたけど、君のことがどうしても忘れられないんだ。
そんなこと言われたら、新しい彼氏はたまったもんじゃないよね。
こわい。

5. 期待外れのメリーゴーランド
「期待外れのメリーゴランド」
このフレーズはかなりのお気に入り。
ちょっとこわい。
光って回るだけのメリーゴランド。
果たしてそこに期待するものとは。
歌い方も気怠く、あたかも初めから期待なんてしてなかったみたい。
イントロからだんだん増える楽器、メリーゴランドのチープなメロディが途切れ
少しの間を置いて、一気にラストのサビが爆発的に始まる感じが好きだ。

6. 魔法のタイムマシン
いろいろと遊んでいる曲。
そして、そういうぶっ飛んだ歌詞も面白い。
「びりびりかんでん」は印象的。

7. 1989
HAPPY BIRTHDAYの二人が生まれたのが1988年。
おそらく1歳の誕生日の光景。
微笑ましい。

8. ありがとうまたね
バラード曲。
おそらく死別した大切な人への歌。
こわい。

9. ぼくがそばにいる
ピアノ中心の曲。
一人称が「ぼく」なので、男性からの視点でしょうか。
「今夜きみが怖い夢を見ませんように」に対応していると思います。
ここから3曲の流れがお気に入り。

10. DAIKIRAI-DAISUKI
シングル曲。
全曲からガラッと変わってロックチューン。
こういう「普通にいい曲」の方が感想書くの難しいかも。
「ネジを巻き過ぎて壊れてしまった大事なオルゴール」はお気に入りのフレーズ。

11. 目を開けて
前向きな歌詞のポップチューン。
「あなたのキスで熱くなったあたしは 原子力なんか要らない(!)」
という歌詞は印象的。
世間を騒がしていることなんか興味が無い。あなたのことで頭がいっぱい!
歌詞には女の子らしいものがたくさん出てきて楽しい雰囲気だ。



ということでなかなか面白く、実に良い仕上がりになっているアルバムになっていると思う。

ボーカル、きささんはとても表現豊かなボーカリストだと思う。

ストレートに感情が出ているところも好印象。

こわいっていうか重い。

どこかで聞いたことがある感は否めないものの、HAPPY BIRTHDAYらしさが出ていると思う。

ただ、一旦音を切ってバッと演奏を再開するという演出は

効果的なだけに多用されるとくどいように感じた。


とってもユニークな二人でライブと舞台を一緒にやるような公演をしているのだが

今後見れなくなると思うと残念だ。

本は二回読みたい

できれば、できればだが

本は2回は読みたいところなのだ。


何故かと言うと、勿論、そっちの方が、

物語なり、思想なり、伏線なりを、より深く理解することが出来るからだ。


しかし、その思いとは裏腹に

私が初めて読んだ本で、とても面白かったものや、共感したものは

二度と読みたくない、と思うのだ。


なぜか。


私は、なんとなく本棚を眺め、一冊の本を取り出す。

かつて読んだ小説で、とても良かった本だ。


だが、私にはその本を開く勇気はないのだ。


なぜだろう。


私の中には、その本を読んだ時の思い出が非常に綺麗なままある。

読了し、「ああ、よかったな」 という思いがそのままある。

その本を手に取ると、その思いがフラッシュバックする。

この思いをそのままにしておきたいのだ、私は。


二回目の読書は、この気持ち、この感動を消してしまうのではないか。

それがとてつもなく怖いのだ。

この気持ちをずっと取っておきたいのだ。


聡明な著者は伏線などの仕掛けを小説の中に張り巡らしているはずだ。

読者はそれに見事にはまりながら頁を繰り、クライマックスで深い感動に包まれるのだ。

そういう風にできていると思う。

ならば、そうやってまんまと著者の罠にハマった読み方をした時の感動が

最も強く素晴らしいものなのではないだろうか。






本当は、結末を知っている物語を読み始めるまでの面倒を避けたいだけかもしれない。












PS:なんとこのブログネタは去年の6月にメモしていたものだった

芥川龍之介がなんとなく好き

タイトルの通り、私は芥川龍之介がなんとなく好きかもしれない。


なんでこんな曖昧な言い方をするかというと、簡単に「好き」って言いたくないからだ。

「好き」というからには、やっぱり、全部もしくはほとんどの作品を読んでいたい。

そしてその段階で「好き」と堂々と言いたい。

一部分だけじゃなくて、全てを知った上で「好き」と言いたいのだ。



さて、前置きが長くなったが、私は『芋粥』という作品が好きだ。

芋粥(Wikipedia)

芋粥(青空文庫)


その詳細は上2つのリンクに譲る。


なんというか、私は、この五位と似ているな、と思う。

それは今現在の私だ。

この作品を初めて読んだのは小学生の時だったと思うが、そのときから私は満たされていなかったのだろうか。

満たされたとしてもそれでは飽きたらなかったのだろうか。

しかし、子どもながらに「この話は面白い」「共感できる」と

そう思っていたのだろう。


その感覚は今も勿論健在であり、顕著であるといえる。


多分、私は満たされることはこの先ないのだろう。

欲しい物を手に入れたとしても、それを手に入れた瞬間には塵芥と化すのである。

そして、次の欲しいものを追い求めるのだ。


欲しい物を追い求めたいという欲望を欲しいと望む。

欲望が自己目的化しているのではないだろうか。


それならいっそ、満たされないほうが幸せなのではないだろうか。

生きていこうと思えるのではないだろうか。


そう思うと私はとたんに手に入れることが怖くなる。

今本当に欲しいと思っているものに対する興味を失ってしまうのではないか。

それはほんとうに怖い。


草野マサムネが「両想いになると冷める」といったようなことを言っているようだが

まさしくそんな感じだ。

というか、私にはなんとなく心当たりのようなものがある。


際限ない欲望を、満たしてはならないのではないだろうか。

腹八分目とはよく言ったものだ。




するとどうだろう。

私が芥川龍之介の著作を完全制覇したとき、私は芥川龍之介が心から「好き」と言えるのだろうか。

芥川龍之介の著作を全部読むという欲望が叶えられたとき

芥川龍之介への興味は失せてしまうのではないのか。

そうすれば、今私が『芋粥』に抱いているこの感情も、なにか代弁してもらっているようなこの感情も

消えてしまうのではないのか。


それはいやだ、と思う。



「なんとく好き」 くらいが丁度いいんじゃないだろうか。