おじさん「コーヒーで」

バイト「かしこまりました」

-1分後-

バイト「申し訳ございません。伝票が打てていなかったようで。コーヒーでよろしかったですか?」

おじさん「は?」

バイト「コーヒーでよろしかったですか?」

おじさん「よろしかったですか?ってなんなの」

バイト「なんなの、とおっしゃいますと?」

おじさん「だから、なんで過去形なの?今もコーヒーなんだけど『よろしいですか?』でしょ?」

バイト「はぁ・・・。でも、お伺いしたのは過去のことですし」

おじさん「君は日本語がなってないね」


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思うに、このバイト君の「よろしかったですか?」は

おじさんの言う「よろしいですか?」の意味合いと同じだろう。

そしておじさんもそのことは知っていてバイト君をいじめているのである。


これから日本語云々を語るのであるが、そもそもこういうことを言って

人を困らせる人の人間の小ささ、陰湿さというものをまずはじめに糾弾すべきなのかもしれない。

こういう連中は、相手の日本語を正したいという思いを持っている訳ではなく

困っている相手を見て優越感に浸る陰湿な人間なのではないのか。

テレビやインターネットで仕入れた良くも知らない情報を用いて人を困らせて楽しんでいるのだ。

きっとこういう連中は、友達もいなくて職場などでも疎んじられ

そういったストレスを絶対的に優位な客という立場を利用して

意見をいうべき正当な権利を持っていないのに、無理難題を人に押し付けるような輩なのだろう。



さて、バイト君のセリフにもあるように

「よろしかったですか?」というのは、過去のある時点において「よろしい」という状態でしたか?

という意味でしょう。

つまり、今あなたがコーヒーでいいかということはここではどうでもよく

過去にコーヒーを頼んだ(過去形)のかどうかがバイト君は知りたいのです。

つまり、過去形で聞いたからといって現在は変わっているということにはならないでしょうし

過去から状態が当然継続しているという前提での会話であると考えられます。

それに、「よろしいですか?」と言うのはどうも違和感を感じます。

シチュエーションを想像して「よろしいですか?」と言ってもらえればわかると思いますが

「よろしいですか?」と言うと、「もうこれでいいよね?これだよね?」の

丁寧表現のような気がします。

友達の家に行って「麦茶でいい?」と聞かれるのと同じ流れではないでしょうか。

喫茶店でコーヒーを注文して、店員が「コーヒーでよろしいですか?」と言えば

本当にコーヒーでいいの?というニュアンスが伝わってきます。

少なくとも私には。

そして、英語に於いては、過去形が丁寧な表現となりえます。

これは詰まるところ、婉曲表現なのではないでしょうか。

ぼかすことが美徳とされる日本においても、お客さんに対しては

今あなたが注文しているのはコーヒーですよね?と

ストレートに聞くよりも、過去にコーヒーを注文していますよね?

と聞くほうがよりスマートなのではないでしょうか。

ましてや、古来日本においては

物を口に運ぶという行為は元来人に見せられたものではありませんので

飲食店においてはなおさら婉曲表現が必要とされていると言えるのではないでしょうか?

どうですか、おじさん?

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おじさん「・・・」




つづく