原発事故と原子爆弾が関連付けられていないのがおかしいと思う
放射能が怖いのは、小学校時代に刷り込まれた原子爆弾の悲惨さ、恐ろしさが
根底にあるのではないかと私は思う
そして原子爆弾の炸裂と福島第一原発の爆発事故がリンクして
恐怖を増大させていると私は思う
もちろんこれは素人の私が勝手に思っていることであり
ソースも曖昧・不確定、うろ覚えであることはご了承していただきたい
まず放射能の人体への影響であるが
少量の放射能なら体にいいらしい
放射能を浴びると、体内の活性酸素が増えるという
つまり運動をした状態と同じため
適度な放射能は体にいいというもの
これはたかじんのそこまで言って委員会で阪大の名誉教授が言っていた
嘘かホントかは知らない
次に、原子力発電所の再稼働と安全性の問題は別であるということ
関西では
夏の電力不足に向けて原子力発電所を稼働させたい電力会社と
地方自治体との熱いバトルが繰り広げられているわけだが
これは果たして意味のある議論なのだろうか
もちろん、原子力発電所の安全をよく確かめてから再稼働という話はもっともだが
福島第一原発4号機(だったかな?)は冷温停止状態でも水素爆発を起こしたそうだ
これは夕方の情報番組で森永卓郎が言っていた
つまり大飯発電所は今地震が起きて津波が来て電源が断たれると
メルトダウン、水素爆発を起こすのではないか
それなら再稼働すればいいのではないか
のちのちには原子力に頼らない電力需給を目指すべきではあるが
大規模停電になればそれどころではなくなるだろう
いつ来るかわからない地震に備えるより
この夏の電力需給危機に備えるというのがとりあえずの対策ではないのか
あたかも「電力会社=悪」という図式が出来上がり
それを叩けば市民の支持が得られるのだから、政治家は市民に流されるのも当然と言えるが。
つまり、今重要なのは再稼働する/しない の問題ではなく
地震・津波対策を如何にするか(もちろん、しないという選択肢はないだろう)
という問題ではないのか
再稼働すれば危険、再稼働しなければ安全というニュアンスは間違っているのではないか
東海・東南海・南海地震はいつ来てもおかしくないのだから
再稼働する/しない でもめている場合ではなく
そもそもの地震・津波対策をすべきではないか
そして、原子爆弾の話題に戻るが
岡山県津山市在住の私の祖父母にインタビューしてみた
広島に原子爆弾が投下された当時も津山市にいたわけであるが
原爆が投下され、井戸水を「飲まないほうが良い」
雨水に「当たらないほうが良い」という噂を聞いたのはそれから約一週間後だったそうだ
もちろん当時のことは分からないが、それなりの「放射能汚染」を受けていたのではなかろうか
だが、それらしい病気をしたことはないし、今まで大して気にしたこともなさそうだった
それに水を飲まないわけにはいかないだろうから、きっと飲んでいたのだろう
更に、鳥取の県境からはウランが産出される
それなりの放射能汚染の脅威にさらされているのだろうが
こういうのは気持ちの問題が大きいのかもしれない
原発を動かしたいのは電力会社のエゴだ
しかし、経済の問題を無視して原発を動かしたくないのは民意のエゴだ
なんでも自分の思うようにはいかない
ある程度の妥協が必要である
そしてもっとも重要なことはコントロールである
原子力発電だけでなく、全てのものはコントロールを失えば暴走する
今必要なのは、再稼働する/しない よりは
コントロールの部分(情報伝達、開示、事後処理など)と
抜本的な地震・津波対策の部分であろう
原子力発電所が停止しているからといって安心していてはいけないのだ
そしてもうひとつ大切なことは事故後に被害を拡大させないこと
水素爆発を起こす前にベントを行うのか
放射性物質の飛散を警戒しベントを行わず水素爆発を待つのか
正確な取捨選択が求められよう
しかし、東日本大震災において原発の電源が断たれた際に
専門家の中からは、原子炉がメルトダウンを起こしている可能性があり
ベント作業を行うべきだという意見も出たそうだ
しかし、ここでベント作業を行い水素爆発を防いだとしても
反原発主義者は放射性物質をまき散らしたと非難するのだろう
まぁ果たして民意は、市民が作っているのか
マスコミが誘導しているのか
はたまた政府が裏で操っているのかは知らないが
扇動されないことが大切じゃないか
自分で考えて、経済をストップさせてでも
自分や地域の人の快適性・利便性を犠牲にしても原発反対(再稼働反対)
というのなら、止めはしない
むしろ脱原発に向けての舵取りをしていただきたい
しかし、反原発ムードに乗せられてそちらの方向に目隠しをしたまま(あるいはされたまま)
走って行ってほしくないのだ
そちらに崖があるとは言わないが、せめて自分の進んでいる方向は見えるようにしておいていただいきたい
この先絶対的な(絶対ということはありえないのだが)原発の安全性が確保されない限り
原子力発電に頼った電力供給というのはないだろう
流れは脱原発に向かって動いている
帆を張ってスピード上げるもよし
流れに身をまかせるもよし
ただ舵取りをしっかりしてほしいのだ
手放しで進んでいくのは見ていられない
氷山にぶつかるならまだしも、他の船にぶつかられてはたまったもんじゃない
放射能が怖いのは、小学校時代に刷り込まれた原子爆弾の悲惨さ、恐ろしさが
根底にあるのではないかと私は思う
そして原子爆弾の炸裂と福島第一原発の爆発事故がリンクして
恐怖を増大させていると私は思う
もちろんこれは素人の私が勝手に思っていることであり
ソースも曖昧・不確定、うろ覚えであることはご了承していただきたい
まず放射能の人体への影響であるが
少量の放射能なら体にいいらしい
放射能を浴びると、体内の活性酸素が増えるという
つまり運動をした状態と同じため
適度な放射能は体にいいというもの
これはたかじんのそこまで言って委員会で阪大の名誉教授が言っていた
嘘かホントかは知らない
次に、原子力発電所の再稼働と安全性の問題は別であるということ
関西では
夏の電力不足に向けて原子力発電所を稼働させたい電力会社と
地方自治体との熱いバトルが繰り広げられているわけだが
これは果たして意味のある議論なのだろうか
もちろん、原子力発電所の安全をよく確かめてから再稼働という話はもっともだが
福島第一原発4号機(だったかな?)は冷温停止状態でも水素爆発を起こしたそうだ
これは夕方の情報番組で森永卓郎が言っていた
つまり大飯発電所は今地震が起きて津波が来て電源が断たれると
メルトダウン、水素爆発を起こすのではないか
それなら再稼働すればいいのではないか
のちのちには原子力に頼らない電力需給を目指すべきではあるが
大規模停電になればそれどころではなくなるだろう
いつ来るかわからない地震に備えるより
この夏の電力需給危機に備えるというのがとりあえずの対策ではないのか
あたかも「電力会社=悪」という図式が出来上がり
それを叩けば市民の支持が得られるのだから、政治家は市民に流されるのも当然と言えるが。
つまり、今重要なのは再稼働する/しない の問題ではなく
地震・津波対策を如何にするか(もちろん、しないという選択肢はないだろう)
という問題ではないのか
再稼働すれば危険、再稼働しなければ安全というニュアンスは間違っているのではないか
東海・東南海・南海地震はいつ来てもおかしくないのだから
再稼働する/しない でもめている場合ではなく
そもそもの地震・津波対策をすべきではないか
そして、原子爆弾の話題に戻るが
岡山県津山市在住の私の祖父母にインタビューしてみた
広島に原子爆弾が投下された当時も津山市にいたわけであるが
原爆が投下され、井戸水を「飲まないほうが良い」
雨水に「当たらないほうが良い」という噂を聞いたのはそれから約一週間後だったそうだ
もちろん当時のことは分からないが、それなりの「放射能汚染」を受けていたのではなかろうか
だが、それらしい病気をしたことはないし、今まで大して気にしたこともなさそうだった
それに水を飲まないわけにはいかないだろうから、きっと飲んでいたのだろう
更に、鳥取の県境からはウランが産出される
それなりの放射能汚染の脅威にさらされているのだろうが
こういうのは気持ちの問題が大きいのかもしれない
原発を動かしたいのは電力会社のエゴだ
しかし、経済の問題を無視して原発を動かしたくないのは民意のエゴだ
なんでも自分の思うようにはいかない
ある程度の妥協が必要である
そしてもっとも重要なことはコントロールである
原子力発電だけでなく、全てのものはコントロールを失えば暴走する
今必要なのは、再稼働する/しない よりは
コントロールの部分(情報伝達、開示、事後処理など)と
抜本的な地震・津波対策の部分であろう
原子力発電所が停止しているからといって安心していてはいけないのだ
そしてもうひとつ大切なことは事故後に被害を拡大させないこと
水素爆発を起こす前にベントを行うのか
放射性物質の飛散を警戒しベントを行わず水素爆発を待つのか
正確な取捨選択が求められよう
しかし、東日本大震災において原発の電源が断たれた際に
専門家の中からは、原子炉がメルトダウンを起こしている可能性があり
ベント作業を行うべきだという意見も出たそうだ
しかし、ここでベント作業を行い水素爆発を防いだとしても
反原発主義者は放射性物質をまき散らしたと非難するのだろう
まぁ果たして民意は、市民が作っているのか
マスコミが誘導しているのか
はたまた政府が裏で操っているのかは知らないが
扇動されないことが大切じゃないか
自分で考えて、経済をストップさせてでも
自分や地域の人の快適性・利便性を犠牲にしても原発反対(再稼働反対)
というのなら、止めはしない
むしろ脱原発に向けての舵取りをしていただきたい
しかし、反原発ムードに乗せられてそちらの方向に目隠しをしたまま(あるいはされたまま)
走って行ってほしくないのだ
そちらに崖があるとは言わないが、せめて自分の進んでいる方向は見えるようにしておいていただいきたい
この先絶対的な(絶対ということはありえないのだが)原発の安全性が確保されない限り
原子力発電に頼った電力供給というのはないだろう
流れは脱原発に向かって動いている
帆を張ってスピード上げるもよし
流れに身をまかせるもよし
ただ舵取りをしっかりしてほしいのだ
手放しで進んでいくのは見ていられない
氷山にぶつかるならまだしも、他の船にぶつかられてはたまったもんじゃない